■ 解説
「悪しきだに(あしきだに)」はみすぼらしい〜でさえ(”悪し”は困るの意味も含まれています)、「なきはわりなき(無きは理無き)」は無いというのは何とも耐え難い、「よきを取られて(斧をとられて)」は斧を取られて(”よき”には”良き”と掛っています)、をそれぞれ意味します。
ちなみに単純に言葉が掛っているだけでなく、「悪し」と「よき」は対句表現になっています。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は「宇治拾遺物語」の40話目、「樵夫歌の事」の中で詠まれている詩です。
宇治拾遺物語の作中には、
「今は昔樵夫の山守に斧を取られて、わびし、心うし、と思ひて頬杖打衝きて居りける。
山守見て、さるべき事を申せ、取らせん、と云ひければ
(本和歌)
と詠みければ山守、返しせん、と思ひて、ここここ、と呻吟きけれどえせざりけり。
さて斧返し取らせてければ、嬉し、と思ひけりとぞ、人はただ歌をかまへて詠むべしと見えたり。」
(今となっては昔の事ですが、木こりが山守に斧を取られてしまい、困ったなぁ、つらいなぁ、と思って頬杖をついていました。
山守はその様子を見て、「上手いことを言え、そうすれば返してやろう」、と言うので、
(本和歌)
と詠みます。
山守は返歌を返すためムムムと考え込みますが、上手い答えが返せませんでした。
(負けを認めた山守は)斧を木こりに返したので(木こりは)あぁ良かった!と(喜びました。)
歌を詠むときには普段から精進を怠らず詠むべきだという教訓です。)
と書かれています。
なぜ木こりが歌を詠み、それが「人はただ歌をかまへて詠むべしと見えたり」という結末に至ったのかですが、木こりが木を切るときに歌う歌を樵歌(しょうか)と言い、風情あるものとして認識されていたようです。
木こりが仕事柄、普段から歌い慣れていたことで、山守との勝負に勝ったという話です。
■ 豆知識
作者は不明です。
宇治拾遺物語自体、作者も編者も分かっていません。
宇治大納言(源隆国(みなもとのたかくに)との説があります)によって書かれた宇治大納言物語が原典で、後に加筆された物語が宇治拾遺物語として成立したようです。
なお、宇治大納言物語は現在、写本以外残っていません。
宇治拾遺物語には3話目に「鬼に瘤取らるる事(こぶとりじいさん)」、48話目に「雀報恩の事(雀の恩返し)」、96話目に「長谷寺参籠の男利生に預かる事(わらしべ長者)」が載せられています。
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