大和は(倭建命)

辞世の句 に関する記事

大和は 国のまほろば たたなづく
青垣山ごもれる 大和しうるはし 倭建命

■ 訳

大和は(これまで渡り歩いた国々と比べても)素晴らしい国だ。
青く重なり合うように連なった山々に囲まれている大和はとても美しい。

■ 解説

「まほろば」は素晴らしい場所、「たたなづく(畳なづく)」は青垣山に掛る枕詞(幾重にも重なっているの意味)、「青垣山(あをがきやま)」は周囲を取り囲む山々を垣に見立てた言葉、「ごもれる(篭れる)」は囲まれている、「大和し(やまとし)」は、大和は(”し”は強意)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は「古事記」の中でヤマトタケルが辞世の句として詠んだとされる詩です。
ヤマトタケルは伊吹山に住む神を退治する目的で出兵したのですが、伊吹山の神を侮り、「素手で倒してやる」と豪語して、これまで数多の危機を救ってきた草薙剣(天叢雲剣)を妻、ミヤズヒメの元に置いてきてしまいます。
伊吹山に着いたところ、山辺で一頭の白い猪に遭遇します。
「どうせただの神の使いだ。帰り際に殺してやろう。」と暴言を投げかけた後、山を登ろうとしますが、白い猪は神そのものであり、神の怒りを買って猛烈な氷雨に降り付けられます。
ヤマトタケルの軍勢は毒気に中てられて伊吹山を下山し、這う這うの体で能褒野に辿り着きますが力尽き、この詩を残して没しました。
なお、古事記にはとても大きな白鳥になって飛び立ったと記されています。

辞世の句として全部で4首詠まれており、他に、
2首目、「命の またけむ人は たたみこも 平群の山の 熊樫が葉を 髻華に挿せ その子」
((まだ)命あるものは平群山にある大きな樫の葉を(魔よけの)かんざしとして挿せ。皆よ。)
3首目、「はしけやし 我家の方よ 雲居立ちくも」
(ああ、なつかしい。我が家の方角から雲が立ちのぼっているではないか。)
4首目、「嬢子の 床のべに わが置きし 剣の太刀 その太刀はや」
(妻の寝床に置いてきた草薙剣よ。その太刀よ…。)
が古事記に記されています。
3首目は古事記に「こは片歌なり」(片歌は五・七・七の形式で詠まれた詩のこと:片歌2首で旋頭歌となります)と書かれています。

■ 豆知識

ヤマトタケルは第12代天皇である景行天皇の皇子で、熊襲征討や東国征討を行った伝説的な英雄です。
ヤマトタケルの物語は古事記にも日本書紀にも書かれていますが、書かれ方に差異があり古事記の方では並みならぬ力を持った人物で父から恐れ疎まれて、熊襲討伐もわずかな手勢のみで出兵させられていますが、日本書紀では父である景行天皇から信頼されており、多数の兵を付けた上で出兵しています。

ミヤズヒメの寝床に置いてきた草薙剣ですが、未亡人となったミヤズヒメは預けられた草薙剣をご神体として熱田神宮を建立し現在に至ります。
本来の草薙剣は壇ノ浦の戦いの折に紛失してしまったとされており、現在残されている剣は熱田神宮が用意したレプリカと言われていますが、皇室で使用される三種の神器は本物は恐れ多いという理由から、元々すべてレプリカであり、本物は鎮座されたままであるという説もあります。

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