さねさし(弟橘比売命)

辞世の句 に関する記事

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火中に立ちて 問ひし君はも 弟橘比売命

■ 訳

ああ、相模の野原で火に囲まれた時、火中に立って私を気遣ってくださった(愛しい)あなた。(どうかご無事でありますよう。)

■ 解説

「さねさし」は相模に掛る枕詞(”さねさし”は意味もなぜ相模に掛るのかも確実な理由は分かっていません)、「相模(さがむ)」は現在の神奈川県(小田原市周辺)、「問ひし(とひし)」は見舞った、「君はも(きみはも)」は貴方よ(”はも”は強い詠嘆)、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は「古事記」の中、ヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが辞世の句として詠んだ詩です。
ヤマトタケルは東征の最中、相模国の国造たちに騙され火を掛けられますが、ヤマトヒメの助言に従い天叢雲剣と火打石を使うことで難を逃れます。
(この事で天叢雲剣は草薙剣、焼き払われた土地は焼津と呼ばれるようになります。)
さらに東に進むヤマトタケル一行は、走水海(三浦半島と房総半島間の水道)を通ろうとしますが、海の神の怒りを買い、先に進むことができなくなりました。
同行していたオトタチバナヒメは、海の神を鎮めるため自らを生贄として身投げします。
すると、荒れていた波はすっかり静まって船は海を渡ることができました。
七日後、オトタチバナヒメの付けていた櫛が岸に流れ着き、その場所に墳墓を作ったと記されています。

■ 豆知識

オトタチバナヒメの墳墓ですが、主宰神として祀られている千葉県茂原市本納の橘樹神社と神奈川県川崎市高津区子母口の橘樹神社にはどちらも墳墓が存在しています。
但し、川崎市の橘樹神社にある富士見台古墳は6世紀頃に造られたものであり、土地の有力者の墳墓であったのではないかと考えられています。

この和歌の「さねさし」ですが、方言説や誤記説、古代文字で理解すべきといった説など、諸説あります。
ちなみに古事記の原文では「佐泥佐斯」と書かれているのですが、「佐泥佐泥斯」と書かれた別の出典もあります。
「さねさねし(実々し)」とした場合、「相模」を”さが”=運命とすれば、(心の底から貴方に守られてうれしかった)運命のあの日、といった意味になるかもしれません。

■ 関連地図

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: