やすみしし(藤原宮の役民)

長歌 に関する記事

やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子
荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと
みあらかは 高知らさむと 神ながら
思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ
石走る 近江の国の 衣手の 田上山の
真木さく 桧のつまでを もののふの
八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず
鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に
知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は
常世にならむ 図負へる くすしき亀も
新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを
百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば
神ながらにあらし 藤原宮の役民

■ 訳

我が大君、日の皇子たる天皇は、藤原の地にてお治めになろう、宮殿を立てようと神としてお考えになられた。
天津神も国津神も従い、近江国の田上山からヒノキの木材を宇治川に浮かべて流した。
その木材を取ると民は家族の事も自分の体の事も顧みず忙しく働き、カモのように水に浮かんで(木材を移動させて)、私たちが作る宮殿に未統治の国も巨勢道から(我が国に)従いにやって来て、私たちの国は永遠に(発展し続ける)だろう。
吉兆を知らせる亀は新しい時代を(祝福して)現れ、また(神は、木材を持ち込んだ)泉の川の角材をイカダにして川を遡らせている。
(神も民も皆が)忙しく働く様子は、天皇が神であるからだろう。

■ 解説

「やすみしし(八隅知し)」は”わが大君”に掛る枕詞(隅々までお治めになるの意味)、「高照らす(たかてらす)」は”日”に掛る枕詞、「荒栲の(あらたへの)」は”藤原”に掛る枕詞(藤で作った布(あらたへ)が語源)、「食す(をす)」はお治めになる、「見したまはむ(めし給はむ)」はご統治なさる、「みあらか(御舎)」は御殿、「高知らさむ(たかしらさむ)」は立派に建てられる、「神ながら(かむながら)」は神として、「思ほすなへに(おもほすなへに)」は思われたちょうどその時に、「天地も(あめつちも)」は天津神も国津神も、「寄りてあれこそ(よりてあれこそ)」は付き従っている(”こそ”は強調)、「石走る(いはばしる)」は”近江”に掛る枕詞(意味は水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる様子)、「近江の国(あふみのくに)」は現在の滋賀県、「衣手の(ころもでの)」は”田上山”に掛る枕詞(手(た)と同音であるため)、「田上山(たなかみやま)」は現在の滋賀県大津市南部にある山々の総称、「真木さく(まきさく)」は”桧”に掛る枕詞(木の割れ目を”ひ”と呼ぶため)、「桧のつまで(ひの枛手)」はヒノキの材木、「もののふの(武士の)」は”八十”に掛る枕詞(氏が多いことから)、「八十宇治川(やそうぢがは)」は現在の滋賀県、京都府、大阪府を流れる川(瀬田川、宇治川、淀川)、「玉藻なす(たまもなす)」は”浮かべ”に掛る枕詞(美しい藻の意味)、「騒く御民も(さわくみたみも)」は忙しく働く民(”御民”は天皇の臣下であると人民が自ら使う言葉)、「家忘れ(いへわすれ)」は家族を忘れ、「身もたな知らず(みもたなしらず)」は自分の体を顧みず(”たな知る”は十分にわきまえるという意味)、「鴨じもの(かもじもの)」はカモのように、「知らぬ国(しらぬくに)」は未統治の国、「寄し(よし)」は近づく、「巨勢道より(こせぢより)」は現在の奈良県御所市の南西部を通る道から(”寄し巨勢”を良し来せ、もしくは寄し来せと掛けているものと思われます)、「常世にならむ(とこよにならむ)」は永遠になるだろう、「図負へる くすしき亀(あやおへる 奇しきかめ)」は絵図を背負った神秘的な亀(亀は縁起物であるため、吉兆を詠んだものと考えられます)、「新代(あらたよ)」は新しい時代、「泉の川に(いづみのかはに)」は”泉”と”出づ見”を掛けた言葉、「真木のつまで(まきの柧手)」は荒削りの材木、「百足らず(ももたらず)」は”筏”に掛る枕詞(百に足らない数であることから八十(やそ)、五十(いそ)、もしくは「や」や「い」から始まる言葉に掛ります)、「泝すらむ(のぼすらむ)」は(川の流れを)さかのぼるのだろう(推量)、「いそはく見れば」は勤しむ様子を見ると、「神ながらにあらし」は神そのものであられるのだろう、をそれぞれ意味します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は万葉集 第一巻(雜歌 50首目)に収録されています。
題に「藤原宮之役民作歌」とあり、藤原宮で働く民が詠んだ詩です。
なお左注として「右日本紀曰 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮」(右(の詩は)、日本書紀では朱鳥七年癸巳(693年)秋八月に藤原宮地に御幸、朱鳥八年甲午(694年)春正月に藤原宮地に御幸、冬十二月六日(694年12月30日)に藤原宮に遷都した。)と書かれています。

■ 豆知識

作者は藤原宮で働いた人物であるということ以外不明です。
難解な枕詞が多用されていることから、人麻呂説もあります。

非常に長く、また枕詞が邪魔をして読みづらい詩ですが、一行でまとめると、
「神様だって従う、現人神たる天皇の命で、みんな一生懸命働いて立派な宮殿を建てました。」
といった感じになるでしょうか。

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