■ 解説
「あしたの原の(朝野原の)」は翌朝、野原の、「ふる年(旧年)」は昨年、「心地社すれ(ここちこそすれ)」は気がする、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は拾遺和歌集 第一巻(春)に収録されています。
「題志らず」となっているため詳細は分かりません。
■ 豆知識
作者は平祐挙(たいらのすけたか)で、光孝平氏の血筋、藤原道長の家司(いえのつかさ)です。
父は平保衡(たいらのやすひら)で、姪には和泉式部がいます。
紫式部日記に何度か登場しており、その名を確認できます。
「宮の内侍ぞ、またいときよげなる人。
丈だちいとよきほどなるが、ゐたるさま、姿つき、いとものものしく、今めいたるやうだいにて、こまかにとりたててをかしげにも見えぬものから、いとものきよげにそびそびしく、なか高き顔して、色のあはひ白さなど、人にすぐれたり。
頭つき、髪ざし、額つきなどぞ、あなものきよげと見えて、はなやかに愛敬づきたる。
ただありにもてなして、心ざまなどもめやすく、つゆばかりいづかたざまにも後ろめたいかたなく、すべてさこそあらめと、人の例にしつべき人がらなり。
艶がりよしめくかたはなし。」
(宮の内侍(平祐挙)はとても清廉な方です。
背丈はちょうど良いぐらいですが、座っている姿や身なりは堂々としており、今風の姿で特に美しい容姿ではないけれども、とても清楚ですらりとしており、鼻筋が通った整った顔と色白さは誰よりも抜きんでておられます。
髪の結い具合、生え際、額の形など、なんとも美しく見え、華やかで魅力的です。
自然に立ち振る舞い、気だても見た目に感じがよく、どこから見てもほんの少しの不安要素もなく、すべてが完璧で人の模範としたい人柄です。
風流ぶって気取る様子もありません。)
と、ほぼ絶賛しています。
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