■ 解説
「さきの世(先の世)」は前世、「み熊野(御くまの)」は熊野神社(ここでは総本社である熊野三山:熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)、「などなかるべき」はどうして〜が無いでしょう、いや、無いわけがない(反語)、をそれぞれ意味します。
ちなみに、熊野神社の発行する熊野牛王符は、起請文(契約を神仏に誓う誓約書)として使用されていました。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は「道成寺縁起」(安珍・清姫伝説)の絵巻の中で詠まれている詩です。
道成寺縁起をざっくりまとめると、
「昔々、醍醐天皇が治められていた延長6年の夏、奥州白河から熊野に参拝に来た僧がおりました。
うち一人を安珍と言い、大変見目麗しい青年でした。
旅の途中宿を借りたのですが、宿の主である清次庄司の娘(清次庄司の妻という話もあります)の清姫は安珍に一目ぼれします。
清姫は参拝が終わったら、必ずまた戻ってきてください、というと、安珍は必ず寄りますよ、と答えます。
清姫が
(本和歌)
と詩を贈ると、安珍は、
「み熊野の かみのしるべと 聞くからに なを行く末の たのもしきかな」
(熊野の神の導きと聞いて、この先心強く思います。)
と返しました。
とはいえ、安珍は修行中の身。
参拝後、清姫の元には戻らず、そのまま行ってしまいました。
清姫は指折り数えて帰りを待ち続けますが、旅人から話を聞いて騙されたのだと知ります。
そして、怒りを募らせて安珍を追いかけました。
草履が擦り切れても意にも介さず、まるで麒麟や鳳凰のような勢いで追いかける清姫の姿を見た人たちは、「なんと恐ろしい形相なのだろう。」と恐れおののきます。
切目川を渡り、上野に着いた頃、清姫は安珍の姿をついに捉えます。
安珍は人違いだと言って逃げますが、そのやり取りに清姫の怒りは頂点に達し、顔を蛇に変え、文字通り火を吹いて追いかけます。
安珍は笈も笠も投げ捨てて必死で逃げ、増水した日高川を舟に乗って越え、渡し守には清姫を絶対に乗せないよう言いますが、清姫は体を大蛇に変えて川を渡りました。
道成寺に辿り着いた安珍が寺の僧たちに事情を話すと、僧たちは大鐘をおろしてそこに匿ってもらいました。
しかし、追いついた清姫は大鐘に巻き付き、口から炎を出して大鐘ごと安珍を焼き殺し、自身も入水自殺をしてしまいました。
畜生道である蛇道に転生した二人は後に道成寺の住職の元に現れて供養を頼みます。
住職の唱える法華経のお力により成仏した二人は兜率天(安珍)、忉利天(清姫)として生まれ変わり、礼を述べて天へと昇っていきました。」
■ 豆知識
この説話の作者は不明です。
平安時代には既に成立しており、法華験記や今昔物語集(「紀伊国道成寺僧写法花救蛇語」)に書かれています。
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