■ 解説
「やすみしし(八隅知し)」は”我ご大君”に掛る枕詞(国の隅々までお治めになっているの意味)、「高照らす(たかてらす)」は”日”に掛る枕詞(空高く照るの意味)、「荒栲の(あらたへの)」は”藤原”など、”藤”から始まる地名にかかる枕詞(言葉自体は藤の繊維で作った粗末な布を意味)、「大御門(おほみかど)」は皇居の門、「埴安(はにやす)」は現在の奈良県橿原市、「青香具山(あをかぐやま)」は現在の奈良県橿原市の天香久山(歌枕:”青”は青々しいことを示す接頭語)、「日の経(ひのたて)」は東方(もしくは東西)、「茂みさび立てり(しみさびたてり)」はこんもりと茂り立っている、「畝傍(うねび)」は現在の奈良県橿原市の畝傍山(歌枕)、「瑞山(みづやま)」はみずみずしく美しい山、「日の緯(ひのよこ)」は西方(もしくは南北)、「山さびいます(やまさび坐す)」は山が立っていらっしゃる(”さび”は接尾語、”います”は尊敬語)、「耳成(みみなし)」は現在の奈良県橿原市の耳成山(歌枕)、「青菅山(あをすがやま)」は耳成山の別名(この表現はこの詩でしか登場しないため詳細は分かりませんが、元々は青椅山(青い木が寄り添う山)という説があります)、「背面(そとも)」は北、「よろしなへ(宜しなへ)」は様子が良い、好ましい、「神さび立てり(かむさびたてり)」は神々しく立っている、「名ぐはし(な細し)」は名がよく知られる、「吉野の山(よしののやま)」は現在の吉野郡吉野町にある吉野山(歌枕)、「かげともの(影面の)」は南側の、「大御門ゆ」は大御門を通って(”ゆ”は格助詞)、「雲居にぞ(くもゐにぞ)」は遥か彼方に、「高知るや(たかしるや)」は”天の御蔭”に掛る枕詞、「天の御蔭(あめのみかげ)」は高大な御殿、「天知るや(あめしるや)」は”日”に掛る枕詞(天を統べるの意味:対句表現となっており、この詩でしか使われていません)、「日の御蔭(ひのみかげ)」は壮大な宮殿(日の光の陰になる所の意)、「水こそば」は水こそは(”こそ”、”ば”は共に係助詞)、「とこしへ(常)」は永遠、「御井のま清水(みゐのましみづ)」は御殿の水、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は万葉集 第一巻(雜歌 52首目)に収録されています。
題に「藤原宮御井歌」(藤原宮の御井の歌)と書かれています。
■ 豆知識
作者は不明です。
万葉集(西本願寺版)には「右歌作者未詳」と注釈があり、誰が詠んだものなのか分かっていません。
「高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の」の、「天の御蔭」「日の御蔭」の部分は祝詞にも頻繁に登場する祭式言語です。
祝詞は神に祈る言葉の事を言いますが、日本語の成り立ちを奈良時代以前まで遡ることのできる歴史学的に見ても重要な資料で、特に延喜5年(905年)、醍醐天皇の命により編纂が行われた延喜式は、ほぼ完全な状態で現在まで資料が残されているため、特に重視されています。
「天の御蔭」「日の御蔭」は共に宮殿を指しますが、天や日に対して蔭(影)が用いられる理由は、宮殿が本来、忌み籠もりの祭儀を行う場として使われていたからとされています。
(月影が月光を指すように、古文では光と影は基本的に同質です。)
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