櫻色の(式子内親王)

短歌 に関する記事

櫻色の 衣にもまた わかるゝに
春を殘せる やどのふぢなみ 式子内親王

■ 訳

(夏になって衣替えで)桜色の衣と別れる(季節)になりましたが、庭先(に咲いた)藤の花がまだ春(の景色)を残しています。

■ 解説

「櫻色(さくらいろ)」は桜の花のような色(一般にのような色合いです)、「わかるゝに(別るるに)」は別れるので(”に”は接続助詞)、「やど(屋戸)」は庭先、「ふぢなみ(藤波)」は藤の花(藤の花が風に揺られる様子を波に見立てた言葉)、をそれぞれ意味します。
当時の貴族の女性たちは、行事や季節によって襲の色目(かさねのいろめ)を変えることが常識とされており、細心の注意を払って選択していました。
(当時の絹はとても薄く、下の生地の色が透けて見え、それを重ね合わせて色目を変えていました。)
夏は緑を中心とした色が主に使われたようです。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は風雅和歌集 第四巻(夏歌)に収録されています。
題に「正治二年後鳥羽院に奉りける百首の歌の中に」(正治二年院初度百首(正治初度百首)、後鳥羽院に献上する百首歌の中で)とあります。

■ 豆知識

作者は式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう)で、新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人、後白河天皇の第三皇女です。
小倉百人一首では89首目、「玉の緒よ…」が選歌されています。

当代一流の歌人であった藤原俊成(ふじわらのとしなり)に師事し、その息子である藤原定家(ふじわらのさだいえ)とも交流があったこともあり、歌人としての評価は非常に高く、歌壇活動の記録がほとんど無いにも関わらず、勅撰和歌集には156首もの詩が載せられています。
ちなみに定家とは恋仲であったとの噂もあり、伝承や文芸作品を生み出しました。

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