■ 解説
「川上の(かはかみの)」は川のほとり(万葉仮名では”河上乃”と書かれており、読みは”かはうへ”かもしれません)、「つらつら椿(つらつらつばき)」は数多く並んで朔椿の花、「つらつらに」は念を入れてみる様子、よくよく、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は万葉集 第一巻(雑歌 56首目)に収録されています。
題に「(大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌)或本歌」(大宝元年(701年)九月、持統上皇の紀伊国御幸に従駕した時詠んだ歌、ある書の歌)とあります。
ちなみに、続日本紀によれば、九月丁亥 天皇幸紀伊國とあることから、九月十八日(新暦で10月27日)に御幸に出られたようです。
■ 豆知識
作者は春日倉老(かすがのくらのおゆ)で飛鳥時代から奈良時代の僧侶、歌人です。
僧名は弁基(弁紀)と言い、大宝元年に還俗して春日倉首姓を賜り、名を老と改めています。
ちなみに、万葉集に春日倉老の詠んだ詩は8首載せられています。
勅撰和歌集では弁基(辨基)の名で詠まれた詩が新勅撰和歌集に1首載せられています。
「待乳山 夕こゑ行きて いほざきの すみだ河原に 獨かもねむ」
この詩は万葉集 第三巻 298首目に載せられている詩です。
春日倉首姓から渡来氏族であろうことが推測されていますが、詳細は分かっていません。
春日倉首氏は春日氏の分派であることから、和珥氏の系統と考えられています。
■ 関連地図
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