■ 解説
「正月立ち(むつきたち)」は正月になって、「かくしこそ(斯くしこそ)」はこのようにして、「楽しき終へめ(たのしきをへめ)」は楽しさの極みだろう(推量の已然形)、をそれぞれ意味します。
■ この詩が詠まれた背景
この詩は万葉集 第五巻(雜歌)815首目に収録されています。
題詞に「梅花歌卅二首」(梅の花の歌、32首)、并序として「天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封穀而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以濾情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠」
(天平二年正月十三日(730年2月8日)、師(大伴旅人(おおとものたびと))の屋敷に集まり宴会を開いた。
時は初春の令月(何をするにしてもめでたい月)であり、気淑く風和ぎ(空は澄み切り風は和らいでいて)、鏡の前でおしろいで装ったかのように梅は白く花開き、衣は藤袴で(香りづけして)香り立っている。
それだけでなく、曙の光に染まる山頂には雲が移り変わり、松は(枝葉が)薄絹をかけた衣笠のように張られ、夕暮れ時には山の峰に霧が立ち、鳥はまるで縠織(こめおり:ちりめん状の織物)のような霧で林の中をさまよっている。
庭には羽化したばかりの蝶が舞い、空には北の地に帰る雁が飛んでいる。
ここに天を笠とし、大地を座敷として(互いの)膝を近づけて盃を交わす。
本音で語り合い、(着物を着崩し)衿を開いて(自然の外気を受けた)。
こだわりなく気ままにふるまい、心地よさに満ち足りている。
もしこれを文字に記せないなら、どうやってこの感情を語れるだろうか。
漢詩には落梅を詠んだ詩がある。
(この感情を表すのに)いにしえの漢詩と今の和歌にいかような違いがあるだろうか。
(詩経の六義「賦」になぞらえ)園梅をありのままに和歌を詠んでみることとする。)とあります。
■ 豆知識
作者は紀男人(きのおひと)で大納言であった紀麻呂(きのまろ)の子です。
息子である紀家守(きのいえもり(「きのやかもり」とも))は桓武天皇の下、参議として重用されました。
現存している日本最古の漢詩集である懐風藻にも漢詩が三首入集しています。
この詩は大宰帥であった大伴旅人の屋敷で詠まれた詩ですが、大伴旅人は相当なお酒好きだったようで、万葉集には「大宰帥大伴卿讃酒歌十三首」という題で酒に関する詩が載せられています。(338首から350首)
また、丹生女王(にうのおおきみ)に吉備の酒を贈っており、その返歌も万葉集(554首)に載せられています。
ちなみに、大伴旅人は今回紹介したこの酒宴を行った年である天平二年十一月には大納言に任ぜられて帰京しており、天平三年正月には従二位に昇進しました。
本日、新元号として発表された「令和」は「梅花歌卅二首」の併序に書かれた内容から取られたことが発表されました。
現在、「令」には「命令」や「法令」のような言いつけ、掟、決まりといった意味のほかに、「令名」や「令嬢」といった、優れている、立派である、といった意味があります。
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