たちよれば(式部大輔光範)

短歌 に関する記事

たちよれば すゞしかりけり 水鳥の
あおばの山の 松のゆふ風 式部大輔光範

■ 訳

(青葉山に)立ち寄ると(いつも)涼しいものだ。
青葉山の(常に若々しい)松(の葉)を凪ぐ夕風は。

■ 解説

「たちよれば(立ち寄れば)」は立ち寄るといつも(「ば」は順接の接続詞)、「水鳥の(みづどりの)」は枕詞(「あおば」に掛かります)、をそれぞれ意味します。
今回は一般的なルールに従って「水鳥の」を枕詞として訳していませんが、「あおば」を”青羽”(若い羽根)、もしくは”青葉”(青々とした葉)として詠んだ場合、若い水鳥、新緑の青葉山(歌枕)、永遠の若さの象徴の常磐木である松の3つを掛けて詠むことができそうです。

■ この詩が詠まれた背景

この詩は新古今和歌集 巻第七 賀哥(755首目)に収録されています。
題に「建久九年大嘗会悠紀哥、青羽山」とあり、土御門天皇が即位された建久九年三月三日(1198年4月10日)に大嘗祭の東の祭場(悠紀)で詠まれた詩です。

■ 豆知識

作者は藤原光範(ふじわらのみつのり)で、鎌倉時代の公卿です。
この詩を詠んだ頃は八省の内でも重要な省である式部省の次官(大輔)であり、後に民部省の長官である民部卿の就任し、従二位を授けられますが、その後出家しています。
なお土御門天皇の父であり、中世屈指の歌人でもある後鳥羽天皇の侍読(教師)にもなっています。

青葉山について、この詩に似た和歌が万葉集に載せられています。
「秋の露は 移しにありけり 水鳥の 青葉の山の 色づく見れば」
この詩は万葉集 第八巻 秋雜歌(1543首目)の三原王(みはらのおおきみ)が詠まれた詩ですが、この詩は青葉山が紅葉で色付く様子を秋の露が染めたのではないか、と詠んだ詩です。

■ 関連地図

コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: