春の日の(高橋虫麻呂)

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春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て
釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる

水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり
七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに
海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ
相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り
海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に
たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして
長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の
我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて
父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと
言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て
今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと
そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて
家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて
あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に
垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば
もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに
白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば
立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ
若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける

水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ 高橋虫麻呂

■ 訳

(暖かな)春の日の霞掛かった時、住之江の岸に出て(沖に出ている)釣り船がゆらゆらと揺れ動いている様子を見ると、昔のことを思い出します。

(昔、)カツオやタイを釣る(上手さを)自慢にしている水江の浦の嶋子がいました。
七日間も家にも帰らず海を渡って海の果てまで漕ぎ出すと、海の神様の娘に偶然出会いました。
互いに語り合い、話が合って(恋は)成就し、(二人は)結ばれて常世の国に行き着きます。
海の神様の宮殿の内にある立派な邸宅に連れ立って二人は暮していましたが、老いも死にもせず生きられたのに、俗世の愚かな人間である水江の浦の嶋子は妻に、
「少しの間、実家に帰って両親に(結婚して立派な屋敷で暮らしていることを)相談してくるよ。明日には帰ってくるよ。」
というと、妻は
「常世の国にまた戻り、今のように(私と)逢いたいと思われるのでしたら、この櫛箱を決して開けないでください。」
と伝えますが、あれほどしっかり約束したのに…。

住之江に帰った水江の浦の嶋子は家を探しても、家は見つからず、里を探しても、里は見つかりません。
奇妙なことだ、と思案します。
「家から出てわずか三年の間に垣根も家もなくなるなんて。もしかしてこの櫛箱を開いてみれば、元のように家が現れるのでは。」
と、(妻に手渡された)美しい櫛箱を少し開いてみると、箱からは白い煙が出てきて、常世の国の方まで棚引いていきます。
(慌てて)走り回り、叫び、袖を振り(煙を追いやろうとし)、転げまわり、地団太を踏んでいましたが、あっという間に(煙に巻かれて)気絶してしまいます。
(すると、)若かった肌はしわだらけに、黒かった髪は真っ白に、しまいには息も絶え絶えとなり、その後死んでしまいました。

昔、水江の浦の嶋子の家のあった場所が見えます。

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風交り(山上憶良)

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風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ
糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り
布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを
我れよりも 貧しき人の
父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ
この時は いかにしつつか 汝が世は渡る

天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる
日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ
人皆か 我のみやしかる
わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを
綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる
かかふのみ 肩にうち掛け
伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に
囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず
甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて
ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて
短き物を 端切ると いへるがごとく
しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり すべなきものか 世間の道 山上憶良

■ 訳

嵐の吹く夜、みぞれの降る夜は、どうしようもなく寒いので、塩の塊を舐めながら、酒粕を溶かしたお湯を啜り飲みながら、咳をし、鼻をずるずると鳴らす。
無精ひげを掻き撫で、自分より立派な人物はいないと虚勢を張ってみてもやはり寒いので、麻衾(麻でできた薄い掛布団)を頭までかぶって、布肩衣(袖なしの木綿の服)をありったけ着込んでも寒い夜なのに、私より貧しいお前のご両親は飢えと寒さに耐えておられるのだろう。
(私より貧しいお前の)妻子たちは(飢えを満たし寒さをしのぐことを)乞い、泣いているのだろう。
このような時、お前はこの世をどうやって過ごしているのかね?

世界は広いといっても私にとっては狭いものです。
太陽や月明かりは明るいといっても私のために照ってはくれません。
人は皆、そうなのでしょうか、それとも私だけがそうなのでしょうか。
たまたま人として生まれ、人並みに成長しましたが、綿も入っていない布肩衣の、 (海藻の)ミルのように破れて垂れ下がっているボロ布だけを肩に掛け、みすぼらしく歪んだ家の中に地面の上に藁を敷いて、両親は頭の方に、妻子は足の方に(私を)囲んで座り、思い悩み、ため息をついています。
かまどは吹き立っておらず、甑(こしき:穀物を蒸すための釜)には蜘蛛の巣が張り、飯を炊くことも忘れて、力無い声を出すと、「短ものを端切る」の如く、鞭を持った村長が寝床の入口まで来て(税の取り立てに)叫んでいます。
こんなにもどうしようもないものなのでしょうか。
人生というものは。

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やすみしし(よみ人しらず)

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やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子
荒栲の 藤井が原に 大御門
始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし
見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の
大御門に 春山と 茂みさび立てり
畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に
瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は
背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり
名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ
雲居にぞ 遠くありける
高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の
水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水
よみ人しらず

■ 訳

我が天皇、日の皇子は、藤井が原に大御門を建て始められ、埴安の堤の上にお立ちになり、(辺りを)ご覧になられると、大和の青々と茂る天香久山は東の大御門から春の山としてこんもりと茂り立っている。
畝傍山は西の大御門から木々がみずみずしく美しい山として、正に瑞山と呼ばれる様に立っていらっしゃる。
耳成山は青々とした木々が寄り添った山で北の大御門から好ましい姿で神々しく立っている。
名高い吉野山は南側の大御門を通った遥か向こうにある。
立派に造られた天皇の御殿、壮大な御殿の御井の清水は永遠に(枯れることなく)在り続けるだろう。

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やすみしし(藤原宮の役民)

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やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子
荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと
みあらかは 高知らさむと 神ながら
思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ
石走る 近江の国の 衣手の 田上山の
真木さく 桧のつまでを もののふの
八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず
鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に
知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は
常世にならむ 図負へる くすしき亀も
新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを
百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば
神ながらにあらし 藤原宮の役民

■ 訳

我が大君、日の皇子たる天皇は、藤原の地にてお治めになろう、宮殿を立てようと神としてお考えになられた。
天津神も国津神も従い、近江国の田上山からヒノキの木材を宇治川に浮かべて流した。
その木材を取ると民は家族の事も自分の体の事も顧みず忙しく働き、カモのように水に浮かんで(木材を移動させて)、私たちが作る宮殿に未統治の国も巨勢道から(我が国に)従いにやって来て、私たちの国は永遠に(発展し続ける)だろう。
吉兆を知らせる亀は新しい時代を(祝福して)現れ、また(神は、木材を持ち込んだ)泉の川の角材をイカダにして川を遡らせている。
(神も民も皆が)忙しく働く様子は、天皇が神であるからだろう。

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やすみしし(柿本人麻呂)

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やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子
神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
隠口の 初瀬の山は 真木立つ 荒き山道を
岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉限る 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に
旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす
いにしへ思ひて 柿本人麻呂

■ 訳

我が天皇、日の皇子は、神のように、神の如く、都を定めて立派に統治された。
初瀬山の立派な木が立ち並ぶ荒い山道を、大岩や邪魔な木を押しなびかせて、朝早く山を越えておられる。
日が暮れると雪が降る安騎の広い野原に、穂の出たススキや細い竹を押しなびかせて、旅先で仮寝されておられる。
昔の日々を思いながら。

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