2019年04月28日
長歌 に関する記事
春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て
釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる
水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり
七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに
海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ
相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り
海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に
たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして
長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の
我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて
父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと
言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て
今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと
そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて
家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて
あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に
垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば
もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに
白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば
立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ
たちまちに 心消失せぬ
若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける
水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ
高橋虫麻呂
■ 訳
(暖かな)春の日の霞掛かった時、住之江の岸に出て(沖に出ている)釣り船がゆらゆらと揺れ動いている様子を見ると、昔のことを思い出します。
(昔、)カツオやタイを釣る(上手さを)自慢にしている水江の浦の嶋子がいました。
七日間も家にも帰らず海を渡って海の果てまで漕ぎ出すと、海の神様の娘に偶然出会いました。
互いに語り合い、話が合って(恋は)成就し、(二人は)結ばれて常世の国に行き着きます。
海の神様の宮殿の内にある立派な邸宅に連れ立って二人は暮していましたが、老いも死にもせず生きられたのに、俗世の愚かな人間である水江の浦の嶋子は妻に、
「少しの間、実家に帰って両親に(結婚して立派な屋敷で暮らしていることを)相談してくるよ。明日には帰ってくるよ。」
というと、妻は
「常世の国にまた戻り、今のように(私と)逢いたいと思われるのでしたら、この櫛箱を決して開けないでください。」
と伝えますが、あれほどしっかり約束したのに…。
住之江に帰った水江の浦の嶋子は家を探しても、家は見つからず、里を探しても、里は見つかりません。
奇妙なことだ、と思案します。
「家から出てわずか三年の間に垣根も家もなくなるなんて。もしかしてこの櫛箱を開いてみれば、元のように家が現れるのでは。」
と、(妻に手渡された)美しい櫛箱を少し開いてみると、箱からは白い煙が出てきて、常世の国の方まで棚引いていきます。
(慌てて)走り回り、叫び、袖を振り(煙を追いやろうとし)、転げまわり、地団太を踏んでいましたが、あっという間に(煙に巻かれて)気絶してしまいます。
(すると、)若かった肌はしわだらけに、黒かった髪は真っ白に、しまいには息も絶え絶えとなり、その後死んでしまいました。
昔、水江の浦の嶋子の家のあった場所が見えます。
2019年04月24日
長歌 に関する記事
風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ
糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り
布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを
我れよりも 貧しき人の
父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ
この時は いかにしつつか 汝が世は渡る
天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる
日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ
人皆か 我のみやしかる
わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを
綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる
かかふのみ 肩にうち掛け
伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に
囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず
甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて
ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて
短き物を 端切ると いへるがごとく
しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり すべなきものか 世間の道
山上憶良
■ 訳
嵐の吹く夜、みぞれの降る夜は、どうしようもなく寒いので、塩の塊を舐めながら、酒粕を溶かしたお湯を啜り飲みながら、咳をし、鼻をずるずると鳴らす。
無精ひげを掻き撫で、自分より立派な人物はいないと虚勢を張ってみてもやはり寒いので、麻衾(麻でできた薄い掛布団)を頭までかぶって、布肩衣(袖なしの木綿の服)をありったけ着込んでも寒い夜なのに、私より貧しいお前のご両親は飢えと寒さに耐えておられるのだろう。
(私より貧しいお前の)妻子たちは(飢えを満たし寒さをしのぐことを)乞い、泣いているのだろう。
このような時、お前はこの世をどうやって過ごしているのかね?
世界は広いといっても私にとっては狭いものです。
太陽や月明かりは明るいといっても私のために照ってはくれません。
人は皆、そうなのでしょうか、それとも私だけがそうなのでしょうか。
たまたま人として生まれ、人並みに成長しましたが、綿も入っていない布肩衣の、 (海藻の)ミルのように破れて垂れ下がっているボロ布だけを肩に掛け、みすぼらしく歪んだ家の中に地面の上に藁を敷いて、両親は頭の方に、妻子は足の方に(私を)囲んで座り、思い悩み、ため息をついています。
かまどは吹き立っておらず、甑(こしき:穀物を蒸すための釜)には蜘蛛の巣が張り、飯を炊くことも忘れて、力無い声を出すと、「短ものを端切る」の如く、鞭を持った村長が寝床の入口まで来て(税の取り立てに)叫んでいます。
こんなにもどうしようもないものなのでしょうか。
人生というものは。
2016年05月08日
長歌 に関する記事
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子
荒栲の 藤井が原に 大御門
始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし
見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の
大御門に 春山と 茂みさび立てり
畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に
瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は
背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり
名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ
雲居にぞ 遠くありける
高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の
水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水
よみ人しらず
■ 訳
我が天皇、日の皇子は、藤井が原に大御門を建て始められ、埴安の堤の上にお立ちになり、(辺りを)ご覧になられると、大和の青々と茂る天香久山は東の大御門から春の山としてこんもりと茂り立っている。
畝傍山は西の大御門から木々がみずみずしく美しい山として、正に瑞山と呼ばれる様に立っていらっしゃる。
耳成山は青々とした木々が寄り添った山で北の大御門から好ましい姿で神々しく立っている。
名高い吉野山は南側の大御門を通った遥か向こうにある。
立派に造られた天皇の御殿、壮大な御殿の御井の清水は永遠に(枯れることなく)在り続けるだろう。
2016年03月13日
長歌 に関する記事
やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子
荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと
みあらかは 高知らさむと 神ながら
思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ
石走る 近江の国の 衣手の 田上山の
真木さく 桧のつまでを もののふの
八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず
鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に
知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は
常世にならむ 図負へる くすしき亀も
新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを
百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば
神ながらにあらし
藤原宮の役民
■ 訳
我が大君、日の皇子たる天皇は、藤原の地にてお治めになろう、宮殿を立てようと神としてお考えになられた。
天津神も国津神も従い、近江国の田上山からヒノキの木材を宇治川に浮かべて流した。
その木材を取ると民は家族の事も自分の体の事も顧みず忙しく働き、カモのように水に浮かんで(木材を移動させて)、私たちが作る宮殿に未統治の国も巨勢道から(我が国に)従いにやって来て、私たちの国は永遠に(発展し続ける)だろう。
吉兆を知らせる亀は新しい時代を(祝福して)現れ、また(神は、木材を持ち込んだ)泉の川の角材をイカダにして川を遡らせている。
(神も民も皆が)忙しく働く様子は、天皇が神であるからだろう。
2015年12月27日
長歌 に関する記事
やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子
神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
隠口の 初瀬の山は 真木立つ 荒き山道を
岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉限る 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に
旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす
いにしへ思ひて
柿本人麻呂
■ 訳
我が天皇、日の皇子は、神のように、神の如く、都を定めて立派に統治された。
初瀬山の立派な木が立ち並ぶ荒い山道を、大岩や邪魔な木を押しなびかせて、朝早く山を越えておられる。
日が暮れると雪が降る安騎の広い野原に、穂の出たススキや細い竹を押しなびかせて、旅先で仮寝されておられる。
昔の日々を思いながら。